01
すべてのはじまりはここから
"世田谷の真ん中で、森のような自然に囲まれて暮らせたら・・・"
ここは、そんな思いから、江戸時から引き継ぐ欅の木を残してつくられた12家族が共に暮らす集合住宅です。
「環境共生」をテーマとしてチームネットを起業したのは1995年の春のことです。
「環境共生」とはどいうものなのか?
その目指す世界を伝えたいという思いと、自分が暮らす理想の住まいをつくりたいという思いから、『経堂の杜』と名付けられたこの住宅はつくられました。
この『経堂の杜』の暮らしの中での取組みがベースとなって、チームネットはその後数多くの環境共生プロジェクトを実現させてきました。
チームネットのことをご理解いただくために、その原点となっている『経堂の杜』での暮らしと、その体験から生まれたチームネット独自の環境共生の実践手法についてご紹介したいと思います。
02
「みどり」のチカラを活かす
~チームネットの環境デザイン手法~
『経堂の杜』で暮らして一番強く思うことは、樹木の生い茂る外環境がいかに重要かということです。
『経堂の杜』の室内にいると、窓の外に緑が奥行きをもって重なり合って見え、暮らし全体がすっぽりと緑に包まれたような感覚になります。
その風景に癒されると同時に、クーラーだけでは得難い贅沢な快適さをここの住人は日々味わっています。
大きな樹木が数本あると、夏の暑い日は、その樹木の周囲での体感温度が下がり、とても涼しくなります。
そうした自然環境がつくり出す局所的な気候のことを「微気候」と呼びますが、『経堂の杜』で重視したことは、この「微気候」を活用して室内の快適化を図ることでした。
『経堂の杜』が完成した当時、その効果を確認したかった私は、エアコンを設置せずに実験的な暮らしを始めました。
その結果、外気温がどんなに高くなっても、室内はクーラーなしで27℃という成果が生まれました。
外気温が37℃であっても30℃であっても、最高室温は27℃という状況です。
この室温が「涼しい」と言えるのか?
そのことについて、とても面白い体験をしました。
外気温が37℃でとても暑い日は、27℃の室内は実に涼しいのです。
我が家にいらした誰もが、エアコンの装置がないのに「エアコンがよく効いているね」と勘違いするほどです。ところが外気温が30℃くらいの日は、27℃に保たれている室温はそれほど涼しくは感じないのです。
“同じ室温でも状況によって涼しかったり、涼しくなかったりする。”
こうしたクーラーを使わない実験的な暮らしを通して、相対的なバランスで変容する「体感」のメカニズムの面白さに興味を持つようになりました。
そうして得た感覚が、建築と外環境との関係を考えるチームネット独自の発想方法をつくり上げていきました。
その後、実験的な暮らしにひと区切り付けて、我が家にエアコンを設置しました。
やはり、「エアコンという優秀なテクノロジーの力はすごい!」、それが正直な実感でした。
ですが、実験的な体験をしたことで、エアコンだけに任せるのではなく、外環境を活かして「微気候」を整えた上でこそ、この優れたテクノロジーの価値は引き出せるということがわかるようになりました。
それは、外環境を活かして快適性のベースを整えた上で、足りない分をエアコンで補うという方法です。
その方法だと、エアコンを稼働させる日数や一日の中での稼働時間がとても短くなり、エアコンの設定温度もあまり下げずに小さく作動させれば室内は快適になります。
そうしたエアコンの稼働率を下げた使い方が、機械だけでは得ることのできない心地よさを生み出すのです。
こうした外環境と設備機器との絶妙なバランスを味わうと、
機械だけに頼った室内は逆にとても不快だと感じるようになります。
そのことは真夏の就寝時に特に実感します。とても寝苦しい夜に、エアコンをつけっぱなしにしておいて寝ると、朝起きたときに体がとてもだるく感じるという経験は誰でもあると思います。
エアコンの稼働を最低限でいいように外環境から整えておけば、そのだるさは回避でき、心地のいい睡眠を得ることができるのです。
外環境と建築、さらに設備機器との関係を整え、全体のバランスの中に快適性をつくりだす。それが『経堂の杜』での暮らし中で体得したチームネット独自の環境デザイン手法です。
この手法は、広範囲にまたがった専門領域を統合させることにその特徴があるので、チームネットでは「環境統合デザイン」と呼んでいます。
03
つくって終わりではない。進化する環境
~暮らしと寄り添うチームネットのスタンス~
庭というのは、ほっとけば雑草だらけになるし、手入れが大変で手間のかかるものです。
『経堂の杜』の一角に共用の庭がありますが、入居当初はそうした手入れの大変さを感じていました。
ところが、その庭の姿は年月を経るごとに変化し、その変化に応じて、庭に対する居住者の意識も変化していきました。
そして、ある時期を境に「庭は大変」というネガティブな意識はなくなってしまいました。
こうした経験から、「環境は進化するもの」という捉え方が「環境共生」を実践する上ではとても重要だと実感しています。
当初の『経堂の杜』の庭は、室内の熱環境を整えるための仕掛けということに比重が置かれ、外に出て庭を味わうという機会があまりありませんでした。
そのため、手入れが疎かになり、雑草が伸び放題で手に負えない状況になっていました。
あまりにもひどすぎるので、年に1回だけ住人総出で草刈りをしていましたが、それでもしばらくすると元の木阿弥で、また1年後に草刈りをするということを繰り返していました。
上:当初は緑にのみ込まれそうだった
下:草刈りをしてもしばらくすると草ボウボウに
そうした繰り返しがしばらく続いて、入居後10年くらい経って、少し本格的に庭づくりを行おうということになりました。
ガーデニングに熱心だった知人が自宅を手放すというので、そこの庭にあった材料を貰い受けて『経堂の杜』の庭を整備しようということになったのです。
雑草だらけだった庭の中に、植栽ゾーンと住人が集うことのできるゾーンとに区画が分けられました。
人が集うゾーンには雑草がはびこらないように古いレンガが敷き込まれ、その周囲には季節ごとに変化する草花が植えられました。
こうして庭は見違えるようになりました。
上:ボサボサの雑草を抜く
下:雑草が生えないようにレンガが敷き込まれる
雑草が生えないようにレンガが敷き込まれる庭が心地よくなってくると、その場所をもっと味わいたくなり「素敵なベンチがここに欲しい」という思いが湧いてきました。
ちょうどコロナ禍で出掛けることが少なくなった2020年のゴールデンウィークに本格的なDIYに初チャレンジし、ベンチが完成しました。
ベンチを庭に置いてみると、更に庭の魅力度がアップし、天気のいい日は家から出てきて庭でくつろぐ住人が増えてきました。
そして、気候のいい時期にはみんなでBBQを楽しんだり、庭を使いこなすことが日常化してきました。
こうして庭が活用されだすと、また「あそこをこうしたい」という気持ちが湧いてくるもので、また手を加える。その繰り返しが「庭」を進化させます。
ここまでくると、これまで庭の手入れは面倒だと思っていた居住者の意識はいつのまにか変わっています。
素敵な場所で日常を楽しみたいから、気づけば雑草を抜いている。
そんな風に庭との関わり方が変容したのです。
「環境共生」においては外環境の整備が重要ですが、その環境づくりというのは、最初につくってしまえばそれで終わりではなく、時間の流れの中で住人の関りを通じて進化するものです。そうした時間軸を踏まえた環境づくりが「環境共生」の醍醐味でもあります。
04
「コミュニティ」のチカラを活かす
~チームネットのコミュティデザイン手法~
『経堂の杜』は世田谷という都市部で「環境共生」を目指した住まいですが、こうした地価の高い都市部で豊かな環境を確保するには、当然ですがそれ相応の資金が必要となります。
特別な資金があるわけでもない私が『経堂の杜』を実現させるために選んだ手法は、「コミュニティ」を活用するということでした。私個人の力では限界がありますが、複数の家族と結託すれば可能になると考えたのです。
「コミュニティ」というと聞こえはいいですが、複数の住人同士が近い距離で顔を付き合わせて暮らすことを考えると、「もめごとが起きないか?」とか「煩わしくはないか?」などと、「コミュニティ」への関りに負担を感じる側面もあります。
そうした「煩わしさ」を気にせずに「コミュニティ」を機能させる、その手法も『経堂の杜』のプロジェクトの中で見出したことでした。
そのポイントは「コミュニティ」を目的にせずに、手段とするといことです。
「コミュニティ」を目的にして人間関係づくりに注力すると、「全員を仲よくさせなくてはならない」という過大なミッションを背負うことになります。「コミュニティ」はあくまでも手段で、「仲よくすること」と「コミュニティを活かす」こととは別物だと捉えると、とても現実的で合理的な人間関係を機能させることができるようになります。
このとき重用となるのは、「コミュニティ」を手段として何を実現させるのか、その目的を明確にすることです。『経堂の杜』では、それを「個人単位では実現できない贅沢な環境を手に入れて豊かな暮らしを実現させること」と定めました。
その目的を明確にすれば、その贅沢な価値を手に入れるために、必然として協力関係が働くことになります。
こうした住人同士の相互作用を経て『経堂の杜』の豊かな環境は整備されたのです。
多様な住人同士の相互作用を働かせると、「価値観」の違いが明確になって対立が生じ、相交わることのない関係に発展することもあります。
そのとき「仲よくなること」が目的ではないと割り切った関係であれば、双方が「個人単位では実現できない価値づくり」のために合理的に協力しあうことが可能になります。
「仲よくなること」を目的としない。だけど「自分のために協力」する。このさじ加減が相手の存在をリスペクトし合う、おおらかな人間関係を醸成します。
この「仲の良し悪し」に関わらない人間関係を生み出す考え方をチームネットでは『コミュティベネフィット』と呼んでいます。
「コミュティ」を目的にしないで手段として、その手段によって生み出される「ベネフィット(価値)」を追求するという考え方です。
この『コミュティベネフィット』の考え方は、その後様々な場面で応用され、チームネットならではのプロジェクトを生んでいます。
05
ミツバチがやってきた
最近『経堂の杜』の住人たちは、まさに環境と共生した暮らしといえる取り組みを始めました。
何かというと、それは「養蜂」です。
『経堂の杜』では2017年より屋上を使って養蜂をやっていて、年に50キロ前後のハチミツの収穫を楽しんでいます。
なぜ『経堂の杜』で養蜂をやることになったか、それはある偶然の出来事がきっかけでした。
今から4年前の2017年8月に私は屋上で異様な光景を目にしました。
草むらに数千匹のミツバチが群っていたのです。
その異様さに驚いた私は、たまたま仕事を通じてお付き合いしていた松沢友紀さんに連絡をし、翌日に様子を見に来てもらうことができました。松沢さんは、環境調査などを行うコンサルタント会社で生物多様性をテーマに活動している研究者で、養蜂についても造詣の深い方です。
『経堂の杜』にいらしていただき見ていただいたところ、この蜂は西洋蜜蜂で、おそらく近くで飼育されている巣箱から出てきたのだろうとのことでした。
養蜂家は1~2年ごとに新しい嬢王蜂へ世代交代させるように巣箱ごとに産卵の状況をコントロールするのですが、同じ巣箱内に同時に複数の嬢王蜂が居合わせてしまうと、古い方の嬢王蜂が半数の働き蜂を引き連れて巣を出て行ってしまいます。これを分蜂と呼び、養蜂家は群れの個体数を半減させてしまう分蜂が発生しないように注意を払って飼育を行います。
今回の場合は、おそらくそのコントロールがうまくいかず分蜂してしまった群れが『経堂の杜』の屋上に来たのだろうということでした。
群れの状況を調べたところその中に嬢王蜂がいることも確認できました。
状況が把握できたところで、松沢さんが「巣箱を用意して世話をすればハチミツを採ることも可能ですよ」とこれからの対処方法の一案を説明してくれました。
飛来してきた西洋蜜蜂は人間との関りの中で飼育されてきた、いわば「家畜」なので、人が世話をせずにほっとけばやがて死滅してしまうということも教えてもらいました。
松沢さんの説明を受けて『経堂の杜』の住人は、メールで全住人の意向を確認することにしました。
すると、『経堂の杜』の住人の反応は全員が同じで、「この蜂たちは経堂の杜の環境を選んで来たのだから」「我々が蜂たちに選ばれたのだから」、「この蜂たちを守ってあげるのは我々の使命だ」といった意見がメールで飛び交い、意見はすぐに一致しました。
そこでさっそく飼育に必要な道具を購入するための出資を住人から募り、養蜂を開始することにしたのです。
こうして蜂の世話が始まりました。
手を挙げた5家族が世話人となり、冬以外は毎週末に屋上に集まって蜂の世話をしています。
1時間前後の作業を週に1回必ずやらなくてはならないので大変ですが、やりはじめるとなんとも言えない充実感があります。
自然を相手に繰り広げられる蜂たちの生態と触れ合うことが新鮮で、これまで都会生活では感じられなかった癒されるような、とても貴重な体験をしていると思えるのです。
5月から7月は採蜜の季節で、最盛期には毎週のように採蜜でき、多い時は1回で10~15キロのハチミツが採れます。
採れたハチミツの味は格別で、スプーンに取って口に含むと、まろやかな甘みと芳醇な香りが口の中いっぱいに広がります。そして、喉の奥に心地のいい余韻がしばらく残って、それがなんとも幸せな感覚なのです。
採蜜した時期によって味や香りが全く異なり、その違いを味わえるのもとても楽しいことです。
春は多種多様な花から蜜が集められるので、口に入れた瞬間にふわっと香り広がり、濃厚な味わいを楽しめます。
夏場はさっぱりとした爽やかな味で、秋になると柑橘系の花が増えるのでシトラスの風味のある個性的な味になります。
こうして養蜂が盛んになったことで、暮らしの場に大きな変化が起こりました。
それは、屋上を使用する頻度が増え、それにともなって屋上が暮らしの場として整備され素敵になっていったということです。
屋上は『経堂の杜』の竣工当初から土が30㎝盛られ緑化されていましたが、それまでそんなに人が来るところではなく、いつも雑草だらけでした。
それが、養蜂を機に、毎週人が上がってくるようになり、使われる頻度が増えてくると、自然と環境を整えようとする意識が生まれました。
最初に手を付けたのが、雑草だらけだった屋上を花園にすることです。愛しい蜂たちのための蜜源となる花を咲かせて、屋上全体を花いっぱいにしようと動き始めたのです。
その結果屋上は見違えるようになりました。
そして、屋上の改善計画はヒートアップし、リゾートテラスが誕生するまでになりました。
コロナ禍でDIYに目覚めた住人が「こんな空間があったら最高」と思えるデッキとパーゴラ付きのロングベンチを制作したのです。
このリゾートテラスが最高に心地よく、オンラインワークの合間に休憩しに、ランチを食べに、夕日を眺めに、ゲストをもてなすのに・・・と、屋上の利用価値は格段に高くなりました。
コロナ禍により自宅で仕事をすることが多くなった住人は、暮らしの場を外へと拡張させることできる豊かな環境があることでストレスが緩和され、ここでの暮らしが「救いとなっている」としみじみと語っていました。
06
住人が主体でいられる暮らしを創る
『経堂の杜』という住まいはとてもユニークな存在だと思いますが、一般的な住まいとは何が違うのでしょうか。
一般的な住まいに『経堂の杜』のような「環境共生」の要素を導入するとしたら、どのような工夫を加えればいいのでしょうか。
そのことを考えるために『経堂の杜』と一般の住まいとの違いを、養蜂のエピソードを基に考えてみました。
たとえば、一般的なマンションの屋上や一戸建て住宅の庭先に蜜蜂が群っていたら、普通どのように対処されるでしょうか。
おそらく、自治体などに通報し、業者を派遣してもらって駆除してもらうことになるのではないかと思います。
では、『経堂の杜』でそうした対応にならかったのは、どのような違いがあったからなのでしょうか。
その根本的な違いは、「暮らしの場」と「主体」との関係にあると思います。
一戸建ての住宅や集合住宅などの建設は、専門性の高い対応が求められるため、戸建てならハウスメーカーや工務店、集合住宅ならデベロッパーなどの業者が担い手となります。
そして、「暮らしの場」をつくる担い手と、そこで暮らす住人との関係は、「提供する側」と「提供される側」という関係になります。
この関係によって住まいが完成し引き渡されると、住人は自分の住まいをよりよく使いこなすための改変を自分の手で行おうとはしなくなります。
それは、住まいに対して「専門家がお膳立てしてくれているもので、素人が手出しするものではない」という暗黙の認識があるからです。
一方で「提供する側」は、引き渡し後も製造者としての責任が付いてきますので、住人による改変の余地がない安定した高い品質を提供することに注力します。
「高い品質」というと聞こえはいいのですが、実はそれは住人の住まいに対する主体性を奪っているとも言えるのです。
こうした暗黙の関係の中で、住人は自らの暮らしに対して「主体的」に手を加えるという行為が、いわば去勢されているような状況となっています。
「環境」というのは、『経堂の杜』での実態を紹介したとおり、そこに暮らす人たちの関りの中で時間とともに進化していく性質があります。
つまり、「暮らしの場」に対して「主体」が作用し合うことで、豊かな環境が創出する。そして、そうした動的な振る舞いが「環境共生」の本質であると言えるのです。
『経堂の杜』と一般の住まいとでは何が違うのか?それは「暮らしの場」に対する「主体」の存在の有無です。
《 「暮らしの場」の担い手は「自分」 》というシンプルな関係があるかないか。
その関係を持ち合わせていなければ、蜜蜂が群ったときの対処は専門家に依存するしかないのです。
こうした「暮らしの場」に対する「主体」との関係のあり方と向かい合って、プロジェクトのことを考えるというのがチームネットの基本スタンスとなっています。
長々とお付き合いいただきましたが、チームネットという会社のことをご理解いただき興味を持っていただければ幸いです。